おっさん 脂肪遊戯

おっさんが、生き残るためのライフハック?です。

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喧嘩十段 芦原英幸の直弟子

空手の名前は多くの人が知っています。

しかし、空手の中の有名人となると???ですよね。

 

芦原英幸と聞いて、どれくらいの人がその名前を分かるでしょうか?

氏を知る者にとっては、燃え盛るくらいの影響力があります。

実際に芦原氏と接したことの無い人間にとっては、光の部分が強く闇の部分については、知らないことが多いと思います。

 

先日「芦原英幸との八年間」という本を手渡されました。

この本は、芦原氏の直弟子をつとめていた原田寛と言う方が書いています。

原田氏が語る芦原像は、喧嘩十段の武勇伝ではなく、芦原氏の人間性がメインでネガティブな面までリアルに描かれております。

 

一流と呼ばれる人は、我々のような一般人の思考や行動とは大きく違っています。

それは時として、社会的には受けいられないレベルのものがあります。

この本で目についたのは芦原氏の「疑心暗鬼」が異常なレベルということです。

自分の意見に従わないものはスパイだと考えてしまい、持ち物検査を行ったりしていたと書かれています。

しかし、当時の状況を考えてみれば何となく分かるような気がします。

氏の生育歴が決して良い環境ではなかったこと。

単身で極真空手を広げるために渡った愛媛には、既に空手の他流派、少林寺がいたのでスムーズに事が進むとは考えられませんし、ヤクザとの衝突は確実にあったでしょう。

今のように簡単に情報が得られない時代。

そしてお金の問題も大きかったのでしょう。

経営が中々軌道に乗らないところに・・・何より師である大山倍達がお金に汚すぎたことも一因なのでしょう。

全てに疑いを持たないと、やっていけなかったのかもしれませんね。

 

このお金が起こす問題は・・・弟子との邂逅と二代目の継承問題です。

巨大な組織で良く起こることですよねw

かの極真空手でも二代目をどうするかで揉めた末に大分裂をしてしまいました。

極真はお金の問題もそうですが、民族の問題もありましたね。

二代目になるのは実力ではなくてお気に入りが選ばれるのは、どの業界も同じなのかもしれません・・・ましてや、民族問題となれば・・・まあ松井館長の実力は疑いないものですが。

 

芦原氏の弟子の中には二宮城光氏(現在円心会館代表)がいました。

溺愛していた弟子だったそうですが・・・これも、また金銭的な問題と先ほどの疑心暗鬼により邂逅することに。

当時はSNSのようなものが無かったので、離れた距離でのコミュニケーションは厳しかったのもあるのでしょう・・・。

芦原会館に所属していたK-1石井館長が金銭的な問題で収監されてしまったのも何か皮肉な感じがします。

その正道会館も、あるところではお金の問題で支部長が続けて破門されていました。

まあ、お金というやつは本当に我々人類の人生を左右してくれるものですw

武漢肺炎で色々と炙り出されましたねw

芦原会館の二代目の問題も相当揉めたみたいですが。

 

故芦原館長の真意は凡人には汲み取れませんし本人にしか分からないでしょう・・・

もしかすると館長は最後の最後まで孤独だったのかもしれません

 

 

ALSが芦原氏を蝕んでいったのですが・・・私の臨床経験で見る限りでは、一生懸命に生きてきた方に多く見られるような気がします。

北海道でも有名なバイオリニストの「大平まゆみ」さんもALSになっています。

そして芦原氏はとんでもなく早食いだったと、書かれています。

この早食いは統合失調症の患者に良く見られます・・・何を言いたいのかと言うとドーパミンの分泌が通常の人間よりも多かったのではないかということです。

だからこそ、溢れる行動力とアイデアがあり、その分何かがすり減っていったのではないのかと考えられます。

激しく命を燃やしすぎると何かしら起こるのかもしれません。

ALSの原因は現段階では不明なので、私の勝手な憶測になりますが。

 

芦原氏はALSで身体が動かない状態でも文字盤を使い、最後の最後まで命を燃やし尽くしていたことが描かれています。

 

芦原英幸氏のことは小島一志氏が書き尽くした感はありますが、直弟子からの新たな視点で書かれたこの本は空手バカ一代に影響された人間にとって新鮮な一冊になるかもしれません。

ちなみに、極真会館北海道の故高木薫師範のエピソードもあります。

梶原一騎氏の書いていた内容とは違うので、ここもまた面白いかと。

結論として、芦原英幸氏はやはり偉大な人だったと再認識しましたね。

 

現在は御子息であられる芦原英典氏が館長になっていますが・・・内部では色々とあるみたいですね・・・相当プレッシャーがかかっているとは思いますが今後の発展をお祈り申し上げます。

 

あとがき

私もかつては、芦原の流れを汲む正道会館で汗を流したとがあり松山に住んでいたこともありますので、本を読む度に懐かしく感じました。

四国は北海道と比べると何処へ行っても狭かったような気がします・・・そして暑いので夏は地獄でしたねw

齢を重ねると、イケイケドンドンの組手ではなくて相手を如何に捌くことが出来るのかが重要になってくることをサバキという言葉を聞くたびに実感します。